居酒屋とおっさん

コロナウイルスが蔓延し、日用品の買い出しも一苦労な毎日ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。感染者数が日々伸びていく一方で、周囲に感染者はなく、実感はわいていないという方もいらっしゃるのではないですか?私は入院中なので、医療現場のリアルの一端を間近で見ることができ、医療従事者の方々の苦労を目の当たりにしています。ニュースで見る数字ではなく、事件は現場で起こっているのです。

 

あれはちょうど去年の今頃でした。後輩3人とちょっとした繁華街の安いチェーン居酒屋で飲み会をしていた時のことでした(余談ですが私は同期より後輩を遊びに誘いがちです。断られたとき「まあ先輩の誘いには気持ちが乗らない時もあるよな」と整理がつきやすいからです。同期から断られるとガチで凹むので…)。大きな座敷では大学生のサークルらしき集団が飲み会をしており、コールが飛び交っています。狭い店内のテーブル席ではソーシャルディスタンスなどなんぼのもんじゃいという間隔でテーブルが密集しています。隣のテーブルには中年の男性が2人、他の席にもちらほらとお客さんが座っていて、まあまあの賑わいを見せていました。まあこのごちゃごちゃした感じもチェーン店の味だよなあと思いつつ、後輩たちと部活の運営についての話や、部員のうわさ話などに花を咲かせていました。大学生の思い出に残る晴れやかなひと時です。

 

「金ば忘れた!」しゃがれ声が私たちのテーブルに暗雲をもたらしました。どうやら隣のテーブルのおっさん(顔が丸い)がお財布を持ってくるのを忘れた(からお前が全額払え)と相方のおっさん(顔が長い)に宣言し始めたようなのです。なんちゅうことを…と思いながらも、隣のテーブルの話に聞き耳立てるなんて野暮だし、私たちは私たちで話したいことがあるし、と自分たちの話題を切り替えました。しかしおっさん2人衆の怒号はそれを許しません。顔の長いおっさんが顔の丸いおっさんに徹底抗戦を始めたのです。話を聞いていると、どうやらこのような状況に陥ったのは今回が初めてではない模様。長おっさんは辛酸をなめ続けてきたのでしょう。しかし、それならばなぜ長おっさんは丸おっさんと飲みに行こうと思ったのか?それまでのツケは払ったのか?長おっさんには丸おっさんしか友達がいないのか?そもそもどういう知り合いなのか?いつからの仲なのか?人生とは?運命とは?宇宙とは?そのような空気が私たちのテーブルを包みました。後輩の佐々木くんも丸眼鏡の奥の瞳が完全に死んでいます。楽しかった飲み会は急遽おっさん同士のキャットファイト観戦に変貌を遂げたのです。

 

そうこうしているうちに丸おっさんが「ほんとに金がないとってぇ~~…」とオイオイ泣き始めました。はたから見て完全にわかるウソ泣きです。対する長おっさん、「もう知らん、警察ば呼ぶ!」強い意志でそう断言しました。ちなみに先述した通りかなり「密」な居酒屋で、私はおっさんズテーブル側に座っていたのでものすごいライブ感で二人の攻防を見ることができました。世界一しょうもないS席です。しばらく2人の鳴き声が店を支配しました。この居酒屋は完全に2人のライムに支配され、フロアはある意味最高潮を迎えたのでした。

 

そうこうしているうちにネイビーの制服を着た人たちが来ました。「うわマジで警察来た」と、あたりは緊張感に包まれます。もうこの段階で私たちは一切会話をしていませんでした。居酒屋という名の人生劇場、その観客となった私たちは、酒ではなく生唾を飲みながらコトの成り行きを見守るのみです。丸おっさんと長おっさんは別々のテーブルで警察に事情聴取を受けていました。「事情聴取ってこうするんだー」「えっ店内で話聞くの!?」という思いが錯綜しつつ、隣のテーブルにステイした長おっさんの事情聴取を全力で聞いていました。全集中耳の呼吸一の型野次馬根性です(鬼滅読んだことない)。全集中しているとどうやら長おっさんも所持金がわずかで丸おっさんにたかる気満々だったようです!『類は友を呼ぶ』毛筆で書かれた掛け軸が私の頭に浮かびました。そうこうしている間に2人は連行されていってしまいました。2人の公演は幕を閉じたのです。

 

「なんだかえらいことになったね。外で飲みなおそっか」とお会計をしていると、居酒屋の店長さんらしき人が「いやあすみませんねこんなことになっちゃって」と謝罪してきました。途中で責任を放棄してしれっと帰ろうとするおっさんを店員さんが必死でブロックするさまを見ていた私は「いやあこんな変なことがあってお店側も大変だったでしょうね。へへへ」とにやりと笑いました。そうするとお詫びにもなりませんけど、と、カラオケの2時間無料券をごっそりと私にくれたのです。4人で分けても30枚弱はいきわたるくらいの量でした。ありがたく受け取り、「珍しいもん見れた上に得しちゃったな、雰囲気は崩れたけどたまには悪くないか」とほくほく顔で店を後にしました。

 

後日、そういえばもらったカラオケ券でヒトカラでも行くかな(陰キャの発想)と鞄から取りだしました。よく見ると有効期限が1年以上前に切れています。あの夜、あの居酒屋にはゴミしか存在しなかったのでした。