穴と孔

すっかり冷え込む季節になりましたね。皆さんいかがお過ごしですか?私は誰の師にも地元の名士にもなってないのになぜか毎日忙しく走り回っており,せめて軽やかに走り切れるようにナイキのエアマックス97を購入しました。

最近は朝もバタバタしていて,ピアスを付け忘れることも多いです。ピアスといえばウマ娘プリティーダービーことウマ娘に登場するエアシャカールちゃんですね(唐突)

umamusume.j

多分アイブロウとかそれ系のピアスを開けていると思うのですがこの年齢で顔面ピアスはっょぃ 歌舞伎町も真っ青 トレセン学園に校則はないのか

それで本題なんですけど簡潔に言うと「ピアスの穴ってアイブロウとかブリッジとか耳以外のところに開けてるやつは穴何個カウントするのか?」ということです。特に顔とかのピアスです。

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顔のピアスはサーフェスピアッシングといって皮膚に針を通すようにして開けるみたいです。セプタムとかの鼻に開ける系のピアスはがっつり鼻の穴の境目を貫き通すそうで嫌が応にも涙が出てくるらしいです(らしいです)

こういう話を聞いてると毎回思うんですが「こういう系のピアスって穴が一つあいたっていうのか?それとも二つなのか‽」ということです。耳に空いたピアスってなんか耳たぶ薄いし穴だなって感じするんですが鼻とか眉にピアス開けとるともうそれは二つの穴なのか「孔」なのかわからなくなりませんか?私はなったんです。(私はなったんですよ)

ピアスといえば学部生のころ友人が軟骨ピアスを開けて間もなくしてから酒を飲んだせいで地獄を見たという話で人間の痛覚システムって正常に働いてるんだなと思いました。(嗚呼蒼き青春の日)

気を取り直してここで穴の定義について記述します。

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一番上にサジェストされる定義は以下になります。

 
【穴・孔】
1.物の面にあいた、または掘って作ったくぼみ(=穴)、または向こうまで突き抜けたトンネル状の所(=孔)。
2.あな⑴に似た所のあるもの。
 
 
 
 
いまいち違いがない。一見二つの穴が開いているだけのように見えるのですが,実際は一つの穴が繋がってトンネル状になっているだけなんですね。
でもなんか穴と孔って違うという感覚だけはあるんですよね。入り口が穴だとしたら,その通り道が孔。そしてまた出口という穴を通ってピアスは貫通するという感じ。でも定義では一緒くたにされているので訳が分かりません。
出口のない孔は単なる「穴」という感じがします。落とし穴。井戸の穴埋め。墓穴堀り。出口があって初めて「孔」になるような気がします。
 
最近寒くておセンチ(マルゼンスキー大好き)になっているのか自分の人生は「孔」でなく「穴」であるような感覚がします。忙しい忙しいとは言っても,それが出口に向かって走っている「孔」ではなく,死に急いで墓「穴」に向かっているような感じがします。しかしピアスと一緒で,穴を貫通させて孔を作り,安定させ,痛みを感じないように皮膚が作られるまでにはそこそこの時間と我慢と手間と労力と消毒が必要になります。
私は極端に孔を作る作業が遅く,もう安定させる段階に入っている友人たちを見るととても焦ります。急いで穴を孔にしようと頑張ります。しかしそうするとまっすぐできれいに安定したピアス穴をあけることはできず,膿んで腐ってしまいます。
もう割り切るしかありません。確かにみんなはキレイでまっすぐで安定したイヤーロブピアスを作っています。すごくうらやましい。
でもきっと私が今開けている穴はアイブロウピアスかもしれないのです。そうだと思うと安定する期間も,与える印象も,手に入れるべきピアスも全て違うということになります。
 
自分は自分の穴と思って頑張るしかないですね。
 

惑星直列

私には趣味がある。ブランコに乗ることだ。

小学生のころからブランコに乗るのが異常に好きだった。

校庭のブランコに乗りながらバカデカい声で歌うのが常だったのであだ名が「ハイジ」だった。

そのくらいブランコが好きだった。

中学生になるとその趣味は鳴りを潜めた。

思春期である。

思春期は大好きなものを我慢してまでかっこつけたいという欲望を自身に植え付ける。

その結果,私はノートにボーカロイドsound horizonの曲の歌詞を書き,どや顔をする中学生になった。

今考えるとこっちの方が恥ずかしかった。ブランコに乗る中学生なんて全然ほほえましいのだ。

だから私は大学生になってからまたブランコに乗り始めた。

だってまだ心は14歳だから。

中学二年生がブランコに乗ってるなんてほほえましい光景じゃないか。

だから私はブランコに乗るのだ。

ただ小学生のころと変わったことが3つある。

一つは年齢だ。

私の心は永遠の14歳だが,肉体的にはもう24歳である。

割としっかりした大人である。

割としっかりした大人が小学校の校庭のブランコに乗ったら不審者である。

だから次に変わったのは場所である。

割としっかりした大人がブランコに乗るためには公園に行かなければならない。

公園はみんなのものなのだ。

だから公園で24歳の女がブランコに乗っていたとしてもまあギリ大丈夫なのである。

ただ,「まあギリ大丈夫」レベルなのである。

親子や子供たちなどの憩いの場になっている昼間に24歳の肉体的には割としっかりした髪がピンクの24歳の女がブランコに乗っていたら割と嫌であろう。私も恥ずかしい。

だから最後に変わったのは時間だった。

こうして私のブランコとの付き合いは「昼間の校庭で歌を歌いながら乗る小学生」から「夜の公演で歌を聴きながら乗る(休学中の)大学院生」に変わったのだった。

一人暮らしを始めてからその趣味は加速した。

ただ,犬の散歩とかに来る人が多いとか,なんか学生がたまっていたりすると恥ずかしいので,なるべく人がいない時に乗ることにしている。私は結構恥ずかしがりやなのだ。

先日も,人の気配がしないのを確認して,ブランコにしっかりと足をかけた。

前を向くと,真正面のベンチに座っている男性と完全に目が合った。

メンチを切られている気すらした。

完全にうかつだった。ブランコに乗りたすぎて確認が雑になっていたのだった。

メンチを切ってくる男性。完全に気まずい。しかしめちゃくちゃしっかり立ちこぎをする姿勢になっていたので,移動するのも気まずいし癪だな…と思い,そのまましっかり立ちこぎをすることにした。私にもブランコ乗りとしてのプライドってものがあるのだ。

すると男性が動いた。ブランコとベンチの手前にある雲梯に移動したのだ。そしてそのまま懸垂を始めた。

「このまあまあ広い公園で二人きりという気まずいシチュエーションでなぜそんな攻めた真似をするのか…?」

私は二つの仮説を立てた。

1つは私がスカートだったからだ。

パンツが見たかったのか?と思った。

しかし見ず知らずの男に見せるほど私のパンツは安くない。

何より私は絶対その男性のパンツを見れないのだ。

等価交換を覚悟できないやからに見せるパンツはない。私は立ちこぎから座りこぎに移行した。

2つ目は新手のナンパか?ということだった。

雲梯で懸垂をすることでマッチョをアピールしているのか?己のマッスルを…と思った。

私の脳内で「ムーンウォークして雌の気を引き,つがいを探す鳥」の動画がリピートした。

そんなことを考えていると,スポーツウェアを着た男性が公園にやってきた。

「やっとこのなんか気持ち悪い感じの状況を打破できる…」と思った。

私はその男性に期待を寄せた。

しかし,男性は私の期待を大いに裏切る行為に出たのだ。

先述のベンチで筋トレを始めたのだ。

ブランコに乗る髪がピンクの女と,雲梯で懸垂をする男と,ベンチで腕立てをする男がちょうど直線上でつながったのである。

惑星直列はウン百年に一回とかの割合で起こる,つまりかなりレアな現象らしいと聞いたことがある。

この状況はそうそうないと思った。

書き忘れていたが雲梯で筋トレをしている男は全身真っ赤だった。

なんか怖くなってきた。

私は家に帰ってごはんをたべることにした。私のブランコ乗りとしてのプライドはばっきり折れたのだ。

もう少し修行を積もうと思った。

居酒屋とおっさん

コロナウイルスが蔓延し、日用品の買い出しも一苦労な毎日ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。感染者数が日々伸びていく一方で、周囲に感染者はなく、実感はわいていないという方もいらっしゃるのではないですか?私は入院中なので、医療現場のリアルの一端を間近で見ることができ、医療従事者の方々の苦労を目の当たりにしています。ニュースで見る数字ではなく、事件は現場で起こっているのです。

 

あれはちょうど去年の今頃でした。後輩3人とちょっとした繁華街の安いチェーン居酒屋で飲み会をしていた時のことでした(余談ですが私は同期より後輩を遊びに誘いがちです。断られたとき「まあ先輩の誘いには気持ちが乗らない時もあるよな」と整理がつきやすいからです。同期から断られるとガチで凹むので…)。大きな座敷では大学生のサークルらしき集団が飲み会をしており、コールが飛び交っています。狭い店内のテーブル席ではソーシャルディスタンスなどなんぼのもんじゃいという間隔でテーブルが密集しています。隣のテーブルには中年の男性が2人、他の席にもちらほらとお客さんが座っていて、まあまあの賑わいを見せていました。まあこのごちゃごちゃした感じもチェーン店の味だよなあと思いつつ、後輩たちと部活の運営についての話や、部員のうわさ話などに花を咲かせていました。大学生の思い出に残る晴れやかなひと時です。

 

「金ば忘れた!」しゃがれ声が私たちのテーブルに暗雲をもたらしました。どうやら隣のテーブルのおっさん(顔が丸い)がお財布を持ってくるのを忘れた(からお前が全額払え)と相方のおっさん(顔が長い)に宣言し始めたようなのです。なんちゅうことを…と思いながらも、隣のテーブルの話に聞き耳立てるなんて野暮だし、私たちは私たちで話したいことがあるし、と自分たちの話題を切り替えました。しかしおっさん2人衆の怒号はそれを許しません。顔の長いおっさんが顔の丸いおっさんに徹底抗戦を始めたのです。話を聞いていると、どうやらこのような状況に陥ったのは今回が初めてではない模様。長おっさんは辛酸をなめ続けてきたのでしょう。しかし、それならばなぜ長おっさんは丸おっさんと飲みに行こうと思ったのか?それまでのツケは払ったのか?長おっさんには丸おっさんしか友達がいないのか?そもそもどういう知り合いなのか?いつからの仲なのか?人生とは?運命とは?宇宙とは?そのような空気が私たちのテーブルを包みました。後輩の佐々木くんも丸眼鏡の奥の瞳が完全に死んでいます。楽しかった飲み会は急遽おっさん同士のキャットファイト観戦に変貌を遂げたのです。

 

そうこうしているうちに丸おっさんが「ほんとに金がないとってぇ~~…」とオイオイ泣き始めました。はたから見て完全にわかるウソ泣きです。対する長おっさん、「もう知らん、警察ば呼ぶ!」強い意志でそう断言しました。ちなみに先述した通りかなり「密」な居酒屋で、私はおっさんズテーブル側に座っていたのでものすごいライブ感で二人の攻防を見ることができました。世界一しょうもないS席です。しばらく2人の鳴き声が店を支配しました。この居酒屋は完全に2人のライムに支配され、フロアはある意味最高潮を迎えたのでした。

 

そうこうしているうちにネイビーの制服を着た人たちが来ました。「うわマジで警察来た」と、あたりは緊張感に包まれます。もうこの段階で私たちは一切会話をしていませんでした。居酒屋という名の人生劇場、その観客となった私たちは、酒ではなく生唾を飲みながらコトの成り行きを見守るのみです。丸おっさんと長おっさんは別々のテーブルで警察に事情聴取を受けていました。「事情聴取ってこうするんだー」「えっ店内で話聞くの!?」という思いが錯綜しつつ、隣のテーブルにステイした長おっさんの事情聴取を全力で聞いていました。全集中耳の呼吸一の型野次馬根性です(鬼滅読んだことない)。全集中しているとどうやら長おっさんも所持金がわずかで丸おっさんにたかる気満々だったようです!『類は友を呼ぶ』毛筆で書かれた掛け軸が私の頭に浮かびました。そうこうしている間に2人は連行されていってしまいました。2人の公演は幕を閉じたのです。

 

「なんだかえらいことになったね。外で飲みなおそっか」とお会計をしていると、居酒屋の店長さんらしき人が「いやあすみませんねこんなことになっちゃって」と謝罪してきました。途中で責任を放棄してしれっと帰ろうとするおっさんを店員さんが必死でブロックするさまを見ていた私は「いやあこんな変なことがあってお店側も大変だったでしょうね。へへへ」とにやりと笑いました。そうするとお詫びにもなりませんけど、と、カラオケの2時間無料券をごっそりと私にくれたのです。4人で分けても30枚弱はいきわたるくらいの量でした。ありがたく受け取り、「珍しいもん見れた上に得しちゃったな、雰囲気は崩れたけどたまには悪くないか」とほくほく顔で店を後にしました。

 

後日、そういえばもらったカラオケ券でヒトカラでも行くかな(陰キャの発想)と鞄から取りだしました。よく見ると有効期限が1年以上前に切れています。あの夜、あの居酒屋にはゴミしか存在しなかったのでした。

蓼食い

「俺は面食いだ。すらっとした佐々木希みたいな女の子がタイプなんだ」「私は顔は関係ないかな。性格重視で相手を選ぶの、現に今の彼氏なんてお笑い芸人の誰それに似てるしい」など、恋愛で相手を選ぶ基準の一つとして挙げられがちな「ルックス」ですが、私は面食いではない人間など存在しないと思っています。私たちはみな面食い、いや蓼食いなのです。

 

冬の終わりごろ、久々に友人たちと集まり、近況報告に花を咲かせていました。

一人の友人に新しい彼氏ができたことも当然話題に上ります。友人はとにかくその彼氏の顔が好きでたまらないようです。写真を見せてもらうことにしました(女子会でのスタンダードなコイバナの流れですね)。

率直な感想は「…前の彼氏の方がかっこいいね」でした(これも女子会でのスタンダードなコイバナの流れですね)。友人の元カレは流行りの塩顔で鼻も高く、小顔でセクシーな雰囲気のある人でした。今回できた彼氏は顔がでかい。というか、顔のパーツがすべてでかい。背も高いそうで顔もきれいな男の人ではありますが私から見れば元カレのほうが圧倒的に魅力的だったのです。

友人はこう答えます。「やっぱり元カレ派の友達が多いんだよね。でも私顔でかい人好きだからさ。」顔の面積が広いことを好みのルックスの要素として挙げる人を初めて見たので驚きました。しかし彼女にとっては顔が大きいことは男らしさの象徴で例えば千葉雄大など顔が小さい人は男として見れないしかっこいいとも思わないとのことでした。

 

ここから得た仮説として「人間はみなお気に入りの面=蓼があるだけではないのか」というものがあげられます。私の好みのタイプは「人を殺してそうな顔」「もうすぐ死にます…みたいな顔」なのですが一言でいうとあんまり理解を得られません。詳細を言うと目がぎょろっとしていたり糸目だったり目つきが悪かったりして、鼻が高い人です。ここまで言ってもあんまり理解してもらえませんが、綾野剛とか、窪田正孝とか実例を挙げると納得してくれる人もいます。まあこの二人は「人殺ししてそうな顔」「もうすぐ死にます…みたいな顔」界の頂点に位置するので多少の理解は得やすいです。しかももっと言えば見る蓼と食べる蓼の好みは別なのです。

 

今までは「見る蓼」の話に終始していましたが、ここからは「食べる蓼」の話に移ります。

 

私の姉の話になります。「西島秀俊かっこいい」などといい、社会人フットサルサークルに所属するなど割と健康的なアラサー女子である姉ですが、この間彼氏を家に連れてきたのです。顔の第一印象は「お笑い芸人のなすびに似てるな」でした。思えば姉は大学生の時に初めて彼氏ができたとき以来B専と言われていました。なすびがBかどうかはわかりませんが、私には食えない蓼だなと思いました。なすびは人を殺さないしもうすぐ死にません。なすびは懸賞生活で1年3か月耐え抜くことができます。私の姉は「懸賞生活で1年3ヵ月耐え抜き顔」を一生食う蓼として選んだのです。

決して特殊な「かっこいい観」を持っているわけではない彼女ですが、「懸賞生活で1年3ヵ月耐え抜き顔」を一生食えるのです。そんな彼女はそもそも「見る蓼」の範囲が広いのではないかとにらんでいます。ピカソを鑑賞してすばらしい芸術作品だと思う人とわけのわからん落書きと思う人がいるのと同じように、見る蓼にも個性が出てきます。範囲の広さもそれぞれです。好みのグラデ―ションもあるでしょう。その個人個人の見る蓼の中から他の異性を選ぶ要素も加味して選抜入りしたのが「食う蓼」なのではないでしょうか。

「見る蓼」と「食う蓼」のバランスが違う人の方が圧倒的に多いとは思いますが、人気な「見る蓼」は「イケメン」とか「美少女」とか言われることになります。だからその蓼を食える人は圧倒的に少ないのです。しかし選抜入りするかはほかの要素も絡んでくるので面の皮以外を重視する人もいるでしょう。しかしそれはバランスの問題であって確実に食えるか食えないかは選抜される要素に入ってきます。それを考えたとき見る蓼にも食える蓼にも入らないのが「生理的に無理」な顔なのではないでしょうか。ちなみにうちの姉の生理的に無理な顔はぺこぱのシュウペイらしいです。理由は「なんか不気味だから」。私はシュウペイの顔はむしろ結構カワイイなと思うタイプなので共通部分にあたりません。ここから考えても顔が不細工だから毒男あるいは喪女という論理は破綻しています。顔の造詣が整ってるかどうかではなく自分という蓼を食ってくれる青虫とまだ出会ってないか、他のステータスを加味した結果選抜入りしなかっただけです。もしくは自分が食う蓼を選ぶときに面の皮やその他のステータスや総合力を重視しすぎということになります(別に全然モテるわけでもないし美人でもないのになぜか恋愛講座みたいな話になってきたけどそういうことを言いたいわけじゃありません。書いてて死にたくなってきました。殺してくれ)。

 

冒頭で面食いではない人間はいないという話をしましたが詳細に言えば間違っています。

詳細に言えば「人はみな面の皮を含めた蓼食いで、総合力で食べる蓼を選んでいるが、その中でも面の皮のステータスを重視する人を面食いと呼ぶ」ということです。

 

ちなみに私はいわゆるイケメンも好きな面食いなので松坂桃李似のムキムキ看護師さんに癒されつつ入院生活を送っています。みなさんもよい蓼ライフを。

魂のアソコ

それは高校2年生の寒い朝のことだった。

その日は朝からなんでか落ち込んでいて,いつもより少しうつむきながらいつものように自転車に乗って学校に向かっていた。

福岡の高校には朝課外という忌まわしい制度があり,高校生は問答無用で7時半には自分の席に到着し,授業に備えなければならない。内申点が惜しければ感傷に浸っている暇はないのだった。

余談だが私含め6割くらいの生徒は眠気にやられてまともに授業が聞けるような状態になるまで授業2コマ分の時間を要していた。それまでの時間は早弁するか白目をむいているだけだったので本当に無駄な制度である。

もし私がいつものように眠い目をこすりながら,それでも前を向いて進んでいたらあんなことには気づかなかったかもしれない。

私が通学路として使っていた道は狭いわりにバスや通勤の車,通学の自転車でごった返す比較的交通量の多い道であった。お互いが快適に,そして安全に目的地に向かうためにはお互いの譲り合いが肝心である。茶道部でワビサビの心を身に着けた私には当然備わっていた精神であったので,対向してきた自転車にもすぐ気づき,軌道を若干ずらすことできれいにすれ違える状況を作った。

しかしふらふらと危ない自転車である。自分の安全確保のためにも,うつむき加減ながらすれ違うまで自転車に乗った男から目を離さないことにした。

偶然ながらその男もうつむき加減であった。何か悲しいことでもあったのだろうか?いや,おそらく片手に持っている荷物を観察しているのだろう。片手運転なのも,速度が遅くてふらふらしているのも,その荷物を大事そうに見ているからであった。大事そうに膝の上にのせて走っている。

一体何をそんなに大事そうに持っているんだろうと興味を持った。人のこだわりについて知るのは面白い。話を聞かなくてもその様子から何を大事にしているか想像するだけでも楽しいものである。そう思い私はその自転車全体から男が持っている荷物にフォーカスした。

しかし大きな荷物である。手に持っているもの以外に荷物はないようなので,リュックサックにでも詰めてくればよかったのに…しかし,荷物が入るバックを持っていなかったのかもしれない。その荷物は大きいというより細長いものだった。しかしピンク色で細長いものとなるといまいちピンとこない。弾力も長さもあるみたいだし,スポーツチャンバラの竹刀かな?だからってあんなにしならせながら走らなくていいのに…などと思っていると男との距離が近づいて行った。

「あっ」

すれ違う一瞬,私はすべてを理解した。

その男に何のこだわりがあったのか私には想像の及ぶところではなかったようだ。しかし理解の範囲が及ばないものとは時に自分自身を救ってくれるものだ。あまりの衝撃に落ち込んだ気持ちが消え去ったのだった。だってあんなアクロバットな露出狂初めて見た(聞いた)し…

「いろんな人がいるんだな」と思い,若干すがすがしい気持ちで前を向いて学校に向かった。その日の授業では一度も寝なかった。